2013年9月30日月曜日

丙午世代の功罪:相撲は大鵬、野球は巨人の時代だった!

丙午(ひのえうま)の年、1966年。
当時、日本で大人気のスポーツと言えば、やはり野球、そして大相撲だった。
テレビの前で親父たちは焼酎や日本酒をあおりながら、ゴールデン・ナイターにかぶりついていた。
ブラウン管の向こうで繰り広げられる、長嶋の華麗なボールさばきや、王の豪快な一本足打法、そのほかにも、村山、野村、金田などなど往年の名選手の一挙手一投足に沸いた。

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栄光の巨人軍は、常勝に次ぐ常勝で、この1966年(昭和41年)も、セ・リーグ優勝する。
パ・リーグの覇者は南海ホークス。野村克也が4番の時代だ。この年、巨人は4勝2敗で南海を制し、日本シリーズで優勝する。
この時期が、巨人軍としてはいわゆる「V9」時代で、9年連続で日本シリーズを制覇する、破竹の強さを見せるのだ。もちろん、王、長嶋のON砲がさく裂したピークの時代である。人々は、後楽園球場に舞う白球に胸を躍らせ、夢を追った。
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一方、大相撲は名横綱の取り組みで沸きに沸いた。
大鵬である。この1966年の成績は、初場所こそ柏戸に優勝を譲るものの、その後は圧巻の5連勝である。

 初場所 柏戸剛
 春場所 大鵬幸喜
 夏場所 大鵬幸喜
 名古屋場所 大鵬幸喜
 秋場所 大鵬幸喜
 九州場所 大鵬幸喜

この昭和時代の流行語として、「巨人、大鵬、卵焼き」がある。
子供たちの大好きなものを並べたこの言葉が流行し、この時代の象徴とも言えるものを言い表していた。
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圧巻の強さを見せた巨人と大鵬。
そこに、お母さんの作る甘くてふわふわの卵焼き。
この年、日本は貧しかったが夢があった。甘い卵焼きを食べながら、夢は無限に広がっていた。

産業が発展し、会社は大きくなり、日本は都会化が進み、海外にも自由に行けるようになり、新幹線、オリンピック、月面着陸、人類の進歩は年を追うごとに感じられた。
そういう昭和の良き時代だった。


それが、1966年という丙午の年だったのだ。
強い者がいて、夢を追うことができ、それが楽しい。成長の実感がある。
今はどうだろうか。
平成のこの技術のはるかに進んだこの日本で、目を輝かせながら夢を追うことができるだろうか。そもそも、夢を持つことができているだろうか。
日本を見直す時が来ている。もう一度、夢を見続けられる社会にすることが、今を生きている者の使命のような気がしている。

2013年9月27日金曜日

丙午世代の功罪:60年に1回の式年遷宮!!

丙午(ひのえうま)は、60年に1回やってくる。
なんで60年に1回か? 考えてみたことはあるだろうか。
陰陽五行と干支に関係している。陰陽五行では十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)あるうち、丙(ひのえ)は陽に属する。
干支はご存知(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)だと思うが、これも陰と陽の区別があり、午は陽。
10種類と12種類なので、掛け算すれば120だが、陽と陽、陰と陰の組み合わせしかできないので、その半分の60。
それで、丙午は、60年に1回なのだ。この丙午は、両方とも火を表していることもあって、とにかく激情的なのである。
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その60年に1回やってくるもの。
つい、先日初めて訪れたのが、島根県出雲。出雲大社(正しくは、いずもおおやしろ、と読む)は、今年60年に1回の式年遷宮である。
しかも今年は、三重県の伊勢神宮も式年遷宮。なんとも稀有な年が重なったのが今年なのだ。
式年遷宮は、いわゆる神様のお住まいの引っ越しである。
神様のお住まいとて、木造の建物。古くなれば当然傷む。伊勢神宮の場合は20年に1回、出雲大社は60年に1回、この引っ越しを行う。
これが式年遷宮なのである。
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出雲大社は、行ってみれば感じることができるが、神様がそこにいる、という空気をはらんでいるのがわかる。
空気が澄んでいるとか、爽やかであるとか、木々のイオンの効果であるとか、吹き抜ける風が心地よいとか、もちろん、そういうこともあるかもしれないが、ここは、まとわる空気が少しずつ変わっていくのが感じられる。微妙な差だし、観光客が多ければ多いほど、その微妙な差は薄れるのだが、それでも違う空気が周囲をまとっているということは、なんとなくだが感じられる。
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この出雲大社に、来月の10月、日本全国の神々が集合する。
10月は「神無月(かんなづき)」だが、出雲だけが「神在月(かみありづき)」になるのだ。
なんのために神様たちが集まるのかは、いろいろな説がある。
だが、僕は、宿の仲居さんに聞いた理由が一番しっくりくる。
この月に集まるのは、これから夫婦になる男と女は誰で、誰とくっつけるか、を相談するために集まっているのだ。
日本の未来を背負う子孫たちを、どんな男女から、どんな夫婦から生み出すか、そんなことまでこの神様たちは喧々諤々の議論をしながら決めるのだ。
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なんともすごい会議ではないか?
自民党の比ではないのだ、神様たちのやることは!
そうして、この日本に新たな命が宿るのだ。日本を立て直す命が、今も生まれている。
今を生きる僕たちは、後進に自信を持って託せる日本を残さなければならないのだ。
それが意識できていれば!
次の式年遷宮の頃には、きっと輝かしい国を築いているに違いない。

2013年9月16日月曜日

丙午世代の功罪:丙午とオリンピックの同期を感じるか!?

丙午(ひのえうま)は、60年に1回やってくる。
同じように、周期を持って定期的にやってくるイベントは何か? と考えてみた。
なんだ、身近の話題であるではないか。

今、ホットな話題のオリンピック。これは4年に1回やってくる。
かたや60年。かたや4年。これは、重なる割合は意外に高いのではないだろうか?
そう思って、近代オリンピックの歴史をひも解いてみた。

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・・・結論から言うと、過去のオリンピックの歴史の中で、丙午だったのは、たったの1回だけだった。
1906年に行われた、アテネオリンピック。
ただし、この大会は、中間オリンピック大会という位置づけで、4年に1回のオリンピアードではない。国際オリンピック委員会もこの大会を正式には認めていない。初期のオリンピックの4年に1度というルールが固まる前の特殊な年、という位置づけだ。
以降、4年に1回のオリンピックだが、丙午とは全く重ならない。

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1896 第1回  アテネ
1900 第2回  パリ
1904 第3回  セントルイス
1906 第3回  アテネ
1908 第4回  ロンドン
1912 第5回  ストックホルム
1916 第6回  ベルリン
1920 第7回  アントウェルペン
1924 第8回  パリ
1928 第9回  アムステルダム
1932 第10回 ロサンゼルス
1936 第11回 ベルリン
1940 第12回 ヘルシンキ
1944 第13回 ロンドン
1948 第14回 ロンドン
1952 第15回 ヘルシンキ
1956 第16回 メルボルン・ストックホルム
1960 第17回 ローマ
1964 第18回 東京
1968 第19回 メキシコシティ
1972 第20回 ミュンヘン
1976 第21回 モントリオール
1980 第22回 モスクワ
1984 第23回 ロサンゼルス
1988 第24回 ソウル
1992 第25回 バルセロナ
1996 第26回 アトランタ
2000 第27回 シドニー
2004 第28回 アテネ
2008 第29回 北京・香港
2012 第30回 ロンドン

この後、予定されているオリンピックも、全く重ならない。
と、これも計算というか、数字の特徴でわかるのだが。
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 丙午という年は、西暦の下2桁で見ると、06、26、46、66、86の5パターンしかない。
 この2桁の数字が4で割れないのだ。当たり前だが、これでは重なることは永久にない。
 がっかりしてしまうところだが、実は、これは夏のオリンピックの話。

 冬季オリンピックになると希望が持てる。
 過去にはないのだが、これからの未来でそれが実現する。
 なんと、2026年と、2086年だ。
 2026年の開催地はまだ決まっていない。
 この年は僕が60歳で、健康に問題なければ、きっとまだ生きている。
 丙午の年が、冬季オリンピックイヤーというのも、何かの縁だ。

 どこで開催されるかわからないが、もし、行けそうな場所だったら、ぜひとも現地に行ってみたいものだ。
 その頃には、もう少し、老人でも気楽に海外旅行出来ていると信じている。

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2013年9月12日木曜日

丙午世代の功罪:ハレー彗星との同期

丙午(ひのえうま)は、60年に1回と決まっている。
同じように、周期があって必ず訪れるもの。他にどういうものがあるだろうか、と考えたとき、真っ先に思い浮かんだのがこれだ。
ハレー彗星。超楕円軌道を描いている周回の彗星。
その周期は76年に1回。
調べてみると、丙午の年にハレー彗星がやってきている年があった。
1006年。日本は寛弘3年。
平安時代の後期にあたる。国風文化隆盛で美しい遺産が数々残る。
この年の3月に彗星はやってきている。
そしてそして、記録によると、彗星出現から約1か月後。
4月末あたりに、超新星が出現する。太陽と月以外の光り輝く天体の出現だ。
丙午との関連性、ハレー彗星との関連性は、時期が同じだったこと以外、何も見つけられない。
しかし、この神秘的なつながりは、何かを期待させる。
まるで、かぐや姫の世界だ。
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ハレー彗星は76年周期で出現する。
次にハレー彗星がやってくるのは、2070年だ。あと57年後。
そして、次にハレー彗星と丙午が重なるのは……。これは、60と76の最小公倍数を導けば、容易に計算できる。
60と76の最小公倍数は、1140。これを1006年に加える。2146年。
そう、次にハレー彗星がやってくる丙午は、2146年なのだ。
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よもや、僕はもう生きていない。僕の子供たちも生きてはいまい。あと、133年後。
しかし、その年に何かが起きると想像してみる。
それは新たな時代の幕開けかもしれない。新たな希望の光の到来かもしれない。
ハレー彗星は76年ごとに地球を、世界を見ている。いったい、今、どんなふうに観察していることだろう。
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あと133年もあれば、人類はどれほど成長しているだろうか、その想像も楽しい。
決して、戦争や飢餓で破滅していない、美しく優しい世界を作っているだろうことを望む。
きっと、人類は数々の難問を見事にクリアしているはずだ。そう信じていたい。

2013年9月11日水曜日

丙午世代の功罪:ビートルズがやってきた!!

1966年6月29日。
丙午(ひのえうま)のこの年、世界的なロックバンドである、ビートルズが来日した。
僕の生まれる4か月ほど前だ。

当時は、相当な熱狂ぶりで、ポールやレノンを見るや、失神するファンが続出したという。
今もジャニーズとかで悶絶失神するファンが後を絶たないらしいから、こういうところは今も昔も変わらないのだ。
ビートルズ、と言っても、どうも僕にはなじみがない。
もともと洋楽は興味がないのだ。
高校生の時に、ビリー・ジョエルを少し聞いた。
でも、はまることはなかったなぁ。
音楽は音と詩で構成されている、としたら、詩を重視。根っから、言葉のほうを好んでいた。

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さて、ビートルズの熱狂ぶりに日本は湧いた。
この時、ビートルズが演奏したのは、武道館。
それまでは、武道館がバンドの演奏に使われることなどなかった。
ビートルズが武道館で演奏した初めてのロックバンドとなったのだ。

今でこそ、「ロックの殿堂」と呼ばれる武道館だが、そもそもは「武道」をするから「武道館」。
武道は、これは神の前で行う神技に近い意味合いがあったので、ロックバンドの会場にするなどとは、とんでもない、という意見も少なからずあったという。
それをポールか誰かが、「僕らも伝統芸能。イギリスでもし日本の武道を開催すると言ったら、イギリス国民はすごく喜ぶと思う」といったような発言をして、その心の広さを魅せつけてくれたというエピソードもある。

ビートルズ01

なにしろ、この丙午の年に、世界を湧かせたロックバンドは、武道しかしなかった「神聖な」場所で、ロックを奏でた。これは、日本においてはすごいカルチャーショックだったに違いない。
その年に生まれた僕は、別にロックにはかぶれなかったが、しかしやっぱりビートルズの曲はいいね、とは思っている。
そう、ビートルズはもはや誰にとっても永遠なのだ!

2013年9月8日日曜日

丙午世代の功罪:なか卯と言えば、やっぱり親子丼でしょう!

1966年の丙午(ひのえうま)。
この年の2月。今でこそ当たり前のように、街のあちこちに存在する、あるチェーン店が設立された。
「なか卯って、なか卯って」という耳に残るような音楽。
そう、うどんと丼物のチェーン店『なか卯』だ。
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「なか卯」というと、僕の場合はやっぱり親子丼になる。
ここの親子丼は絶品。手軽に頼めるチェーン店で、ここまで良質の親子丼を食べられるのだから、満足至極である。
1966年設立だが、「なか卯」が親子丼に行きつくには、それなりにかなりの年月がかかっている。
なんと、親子丼のメニューが登場したのは、1994年。設立後、28年も経過している。
それだけ、親子丼というメニューを気軽に安く提供するのは簡単ではなかったということだ。
丼物チェーン店業界の潮流だったり、物流システムの改革だったり、いろいろと難しいことがあったと思う。
28年の年月を経たからこそ、業界の中でも注目されるメニューとなったとも言えるだろう。
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こだわりの親子丼は、まず玉子にある。「こだわり卵」
「なか卯」のサイトから、その紹介文を引用しよう。
「なか卯で使用する鶏卵は「こだわり卵」と称しており、特別に開発した飼料を用いて飼育した鶏の卵です。市販のものに比べ黄味に弾力感とコクがあり、又、色が濃くオレンジ色に近いものを使用しております。和風牛丼のお供にはもちろんのこと親子丼、カツ丼などなか卯の旨味を支える影の立役者です。」
親子丼のもう一人の立役者は、鶏肉だ。そしてその鶏肉と卵を包むように、秘伝のタレが味を締める。
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丙午のこの年、今を凌駕する親子丼メニューで全国展開チェーンを成し遂げた店が生まれた。
これも、何かの因縁なのか。決して、馬肉で勝負してないところがいい。
http://www.nakau.co.jp/

2013年9月7日土曜日

丙午世代の功罪:丙午のスポーツマンは誰?

丙午(ひのえうま)生まれのスポーツマンも、もはや47歳を迎える年齢のため、さすがに現役はいない。
主だったスポーツマン達をあげてみよう。

1966/01/17  小島 伸幸 (こじま・のぶゆき) 【サッカー】 〔群馬県〕
1966/01/19  ステファン=エドバーグ (エドベリ) (Stefan Edberg) 【テニス】 〔スウェーデン〕
1966/01/26  長嶋 一茂 (ながしま・かずしげ) 【野球】 〔東京都〕
1966/01/29  ロマーリオ (Romario) 【サッカー】 〔ブラジル〕
1966/03/08  若翔洋 俊一 (わかしょうよう・しゅんいち) 【相撲】 〔東京都〕
1966/05/03  湯上谷 宏 (ゆがみだに・ひろし) 【野球】 〔富山県〕
1966/05/20  益子 直美 (ますこ・なおみ) 【バレーボール】 〔東京都〕
1966/06/30  マイク=タイソン (Michael Gerard “Mike” Tyson) 【ボクシング】 〔アメリカ〕
1966/07/16  玉海力 剛 (たまかいりき・つよし) 【相撲】 〔東京都〕
1966/08/04  佐々木 健介 (ささき・けんすけ) 【格闘家/プロレス】 〔福岡県〕
1966/08/30  小谷 実可子 (こたに・みかこ) 【シンクロナイズド・スイミング】 〔東京都〕
1966/09/19  野村 謙二郎 (のむら・けんじろう) 【野球】 〔大分県〕
1966/09/22  桜庭 吉彦 (さくらば・よしひこ) 【ラグビー】 〔秋田県〕
1966/10/11  笘篠 賢治 (とましの・けんじ) 【野球】 〔大阪府〕
1966/12/06  川岸 良兼 (かわぎし・りょうけん) 【ゴルフ】 〔石川県〕
1966/12/17  有森 裕子 (ありもり・ゆうこ) 【陸上競技/マラソン】 〔岡山県〕
1966/12/27  福田 正博 (ふくだ・まさひろ) 【サッカー】 〔神奈川県〕

この中でも、僕の記憶に残り愛着があるスポーツマンと言えば・・・
まずは、この人かな。
ボクシングのマイク・タイソン。
後楽園まで、タイトルマッチを観に行った記憶がある。まだ狂犬行為をする前ね。

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それから、今もオリンピック東京招致で一生懸命ロビー活動を続けている、有森裕子さん。
彼女の名言、「初めて自分で自分を褒めたいと思います。」は、あまりにも有名。

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地元埼玉の英雄、ミスターレッズの福田正博さん。
時代的に、日本代表でプレーする時期は短かったが、この人の存在感は只者ではなかった。
アグレッシブに点を取りにいく姿は、レッズファン、サッカーファンを魅了したものだった。

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この人達が、皆同じ年齢だとは!
時代時代でスポーツを通した感動を、多くの人に与えてくれたのは間違いない。
同じ丙午生まれとして、誇りに思うスポーツマン達である。

2013年9月6日金曜日

丙午世代の功罪:さらに60年前の1906年って?

1966年が丙午(ひのえうま)なら、その60年前の1906年(明治39年)もまた丙午。
では、1906年って、どんな年だったのか。主だった出来事を見てみよう。
ちなみに、1906年は、日露戦争が終結した翌年、ロシアに勝った日本は乗りに乗っている頃。

3月3日 - 伊藤博文が韓国統監府の初代統監に就任
4月18日 - サンフランシスコ地震
4月22日 - アテネオリンピック開催(〜5月2日)
4月28日 - ミラノ万国博覧会開催(〜11月11日)
5月1日 - 新宿御苑開苑式
9月1日 - ゴールデンバット販売開始
9月28日 - 新渡戸稲造が第一高等学校校長に就任
11月1日 - 日本鉄道国有化
夏目漱石『坊っちゃん』『草枕』夏目漱石
島崎藤村『破戒』

伊藤博文
今から106年前。歴史の教科書に乗っていた、あの伊藤博文が、新渡戸稲造が、夏目漱石が、島崎藤村が、まだまだ健在でリアルに活躍していた頃。
国鉄が開業し、オリンピックがアテネで開催。
きっと、戦争にも勝った後だし、日本は湧きに湧いていたことだろう。
文豪の活躍も嬉しい。あの「坊っちゃん」は、60年前に出版されていたのか。

汽車この年、1906年には、こんな人達が誕生している。
ただこの年代の人達は、あまり知られていないと言うか、馴染みがないと言うか。
ちょうどそういう世代なのかもしれないが、突出してこの人、という感じがあまりない。
その中でも、知っている人をあげると、

1906/01/06  杉村 春子 (すぎむら・はるこ) 【女優】
1906/10/20  坂口 安吾 (さかぐち・あんご) 【作家】
1906/11/17  本田 宗一郎 (ほんだ・そういちろう) 【技術者、経営者】※本田技研工業(ホンダ) 創業者・元社長

あの本田宗一郎も、ちょうど60年前の人だったのか。
そう思うと、ますます親近感が湧く。

本田宗一郎

1906年(明治39年)とは、こんな感じの時代だった。
後の世に影響を与えたものが、この年にいくつも輩出していた。
また折を見て、出来事のいくつかを深堀りしてみたいと思う。
今の我々はどうだろうか?
60年後。振り返った時に、この年に生まれた者たちが、後の世にこんなに貢献してくれたのだ、と言われたいものである。

2013年9月5日木曜日

丙午世代の功罪:男性陣はパッとしない?いえいえ、この人がいる!

先日、このブログで、「丙午生まれのダレンとはパッとしない」などと、暴言を吐いたりしてみたが、
よくよく見ると、そんなことはない。

そんなわけないじゃないか!と、本人にも怒られそうだが、そのくらいの勢いのある有名人がいる。
今やジャニーズ事務所を支える大御所の風格。
東山紀之さん。愛称は「ヒガシ」。
1966年(昭和41年)9月生まれの46歳。堂々の丙午だ。

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この年代のバブル組とは到底思えない、非常にストイックな印象。
何しろ、40代後半とは思えないほどの身体の仕上げが見事。体脂肪率は10%以下だそうで。
それに、身体を鍛えることには本当にストイックで、毎月100kmのマラソンはかかさないそうだ。
いやあ、なかなかできない。
なかなかできないことを、忙しい芸能活動の合間にやっているというのは見事と言うしかない。
彼のような例があると、同じ年齢の僕としても、もうちょっと頑張らないといかんかなぁ、と思う。
思うこと以上には、なかなか進まないんだけどね。

2013年9月4日水曜日

丙午世代の功罪:サッポロ一番 しょうゆ味発売!でも味噌が好き!!

丙午(ひのえうま)のこの年。
1966年1月10日。
サンヨー食品が、「サッポロ一番 しょうゆ味」を発売した。

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「サッポロ一番」と言えば、もう子どもの頃から、中年になった今でもお世話になっている、不朽の名作のインスタントラーメンである。
その「しょうゆ味」が、丙午生まれだったとは!
ご存知のように、「サッポロ一番」には、しょうゆ、味噌、塩、と代表的な3種類の味がある。
その1番手は、このしょうゆ味。1966年の1月に発売された。
次に発売されたのは、みそ味。これはしょうゆ味の2年後の1968年9月。
さらにその3年後の1971年9月に、しお味が発売され、3種類の味がそろった。
1975年には、コマーシャルの音楽があまりにも印象に残る、「カップスター」。
これも根強いファンがいる。



「カップスタ~ア~ 食べたその日か~ら~ 味のとり~こに~い と~りこになりました。」
「はっ! ふっ! ほっ!」
「サッポロ一番、カップスタ~!」

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サッポロ一番と言えば、何と言ってもみそ味の印象が強い。
しょうゆ、味噌、塩で、どれか一つを選べと言われれば、間違いなく味噌を選んでしまう。
きっと、札幌ラーメンは味噌味、という印象が強いからだと自己分析している。
僕の中では、札幌ラーメンは、味噌のスープに、コーンがたっぷり入っているのが通例なのだ。

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だから、「サッポロ一番」も味噌! なにしろサッポロで、一番なのだ。
味噌と、できればコーンを入れてくれたら、こんなに嬉しい事はない。